座標

あの子は下を歩く小さい虫に気付くし

あの子は上にいる雲の動きが早いと言う

思い出したわたしは星を数える

 


あの時の記憶も知識も薄れていくのに

あの子は昔と同じ知識をまた話してくれる

あそこにいる迷い人のための星

名前なんだったかな

気になることを知ろうとすれば

他の情報が妨げ

わたしは何も思い出せなくなる

 

大人になりたくないわたしへ

こんなにちっぽけなのに

大人になっちゃった

心は空っぽなのに

大人になっちゃった

どうでにでもなりそうなのに

大人なるとどこに行っちゃうの


海は広いから

船に乗ると余計小さいし


山は大きいから

登ってみると余計小さいし


でも川を覗いてみたら

もっと小さい命がいて


なのにわたしは空っぽ

この心地悪さがちょうどいい


わたしがここにいて良い理由なんて

その辺に転がってはないし


わたしが見つけ出そうとしても

勝手に離れていくし


いつかこの影を抜かしてみたら

角が取れたように

自分は球体になる

 

言葉はいつもまどろっこしいくて

他人を誘惑し悪魔となる

あのアーティストは角がとれて

みんなに愛を振り撒くようになったし

でも仕方ないね

 

ヒキガエルをぺろぺろし

ビックバン類似体験を欲す

 

この迷いに迷った思考を

一直線にしたい

神経はおもしろい

化学は素晴らしい

自然も素晴らしい

 

化学によって生み出された快楽は

万人には受けない

自然が生み出したトリッキー作用も

万人には受けない

ヒッピーはとても良いやつ

 

 

 

拝啓この世にいないあなたへ

わたしは何故か

健康長寿ぽく勝手に何もせずあと60年は生きそうなのですが

毎日そんな自分に怯えています

あなたはもうもしかして戻ってきちゃったかな

こんなファッキンワールドに

もう一度無に還ろう!

 

Breed OP OMEDETOU

Nirvanaやカートについて語るとき、いつもどこかで意見が分かれる。

「彼は反商業主義だった」
「でも成功も望んでいた」
「今の扱われ方は本意じゃないはずだ」
「いや、勝手に思想を代弁するべきではない」

最近ではアニメや流行文化の文脈の中でNirvanaが取り上げられることもあり、そのたびに同じような議論が繰り返されているように感じる。

ただ、この議論には簡単な着地点がない。むしろ、最初から着地しないことを前提にした問いなのかもしれない。

 

 

カートはインタビューなどで、いくつかの価値観をはっきりと語っている。

彼はロック産業の構造や、商業主義的な音楽のあり方に対して強い違和感を持っていた。また、マッチョなロック文化や排他的な価値観にも否定的だったことが知られている。

 

さらにカートは、同性愛者やマイノリティへの差別的な思想に対して明確に距離を置いていた。実際に「そういう人間にはライブに来てほしくない」といった趣旨の強い言葉を残していることもある。

また1992年には、同性愛者の権利を守るチャリティイベントにも参加している。

ただし、カートの思想は一貫した理論というよりも、そのときどきの怒りや違和感に強く反応する形で表現されていた印象が強い。

完成された思想家というより、矛盾や葛藤を抱えながら表現していたアーティストだったと言える。

 

 

Nirvanaの音楽やイメージが大衆化し、Tシャツとして街に溢れ、アニメや広告などさまざまな文脈に取り込まれていく中で、必ず出てくる問いがある。

「カートはこれを喜ぶのか?」

しかしこの問いに明確な答えを出すことはできない。

彼は商業化そのものを単純に否定していたわけではない一方で、その“され方”には強い違和感を抱いていたことが知られている。

『Smells Like Teen Spirit』の爆発的ヒットの後も、その消費のされ方やイメージの固定化に対して葛藤を抱えていた。

つまりカートのスタンスは「賛成/反対」で単純に割り切れるものではなく、常に揺れていた。

そして何より、彼はもう生きていない。

そのため、「カートならどう思うか」を誰かが断定することは、本質的には不可能だ。

 


ファンの中に生まれる防衛反応

一方で、ファンの側にも複雑な感情がある。

たとえば街でNirvanaのTシャツを着ている人を見かけたとき、「本当に好きなのか、それとも流行で着ているだけなのか」と感じてしまうことがある。

それは排他的な気持ちというよりも、自分が大切にしているものが軽く扱われているように感じることへの防衛反応に近い。

音楽そのものだけではなく、その背景や文脈まで含めて好きだった場合、それが抜け落ちて見えると、どこか寂しさや違和感が残る。

ただ同時に、それが「入り口」であることも事実だ。
たとえ軽いきっかけであっても、そこから音楽に深く入っていく人もいる。

その意味で、この感情は常に矛盾を抱えている。

 


それでも残る小さな違和感

例えば、ある人が有名なバンドのTシャツを着ていながら、その音楽についてほとんど知らないと分かったとき。

そこに生まれるのは、怒りというよりも説明しづらい違和感だ。

それは音楽そのものというより、「共有されていると思っていた文脈が抜け落ちている感覚」に近い。

ただしそれは相手の問題というより、自分の中にある期待や前提が揺らぐ瞬間でもある。

 


この議論に結論はない

結局のところ、

カート思想をどう解釈するかも、
Nirvanaの消費のされ方をどう受け取るかも、
どこまでが“正しい理解”なのかも、

一つの答えに収束することはない。

むしろ、この揺れそのものがNirvanaという存在が今も生き続けている理由なのかもしれない。

正しさではなく、解釈の揺れが残り続けている。

その意味でこの議論は、終わるものではなく、続いていくものなのだと思う。

 

そんな中

デイヴの「カートもこの作品が好きだと思うよ。」についても

それはデイヴでも分からんだろ!と。

死人に口なし‥!

 

ところでクリスはどう思う?

kurt cobain

隣人友人:カートコバーン

 

反逆と愛はイコールしてロックに付随してると思う。

 

同じ魚座だ。

魚座の女なんだ。

彼と私の話だ。

 

内側からジワジワとストレスを溜めていき内面からストレスで殺されそう

oh..!Holy siht..!!!!!

 

私の妄想が呼んだのか、夢にカートコバーンが出てきてくれた。

私が見る夢はいつもモノクロで色は付いてない

それでも夢は鮮明に覚えている

無意識、潜在意識

根が深い、恨み深い、消化できない葛藤

渦の中ひょっこり

特大スランプ!病み上がり!

 

夢の中のカートコバーンはライブの前日だったらしい。その時遊園地で出会い、一緒にジェットコースターなのか、滑り台なのか、一緒に乗った。

 

カートコバーンは言う「死ぬのはまだ早い」

他にも沢山話したと思うけど、1番記憶にあるのはその言葉

 

内側からくるストレスに負ける前に思った。

「きっと何者にもなれないお前たちへ告ぐ!」

 

社会(自分が拒絶してるだけ)も、ただカウンセラーのように話を聞く医者、都合のいい友人も、都合の悪い肉体と都合の良い血液

体内からシュワシュワ弾けるように死んでいくだろう

「言葉は軌跡」

「畑を耕しなさい!」

 

子供の頃の悩みと

大人になってからの悩み

大人になって気付いた社会情勢

子供の気持ち

 

ブランドモノも、恋愛も、対人関係も、いずれ消えること、どうしようもないこと

常にニュートラル維持

感情に負けない中間座標

簡単なようで1番難しい

普通が1番難しい、楽なはずなのに

反射で任せられること、少ない

後悔しないこと、できない

後ろを向かないこと、難しい

アッパーの底力、あれは洗脳。マインドコントロール

ダウナーの底力、あれは自己愛。居心地が良い。異端

「あなたは、他の人がいないと自分が見えないの」

 

全てに目を瞑る

息を止めて

鼓膜を閉じる

口の力を抜く

 

全部許してほしい。

消化できない‥!

 

All apologies.